ふるさと
2008年02月27日
私は子どもの頃から父の転勤のお蔭で色々なところに移り住んでおりました。
そのうち小学生のころは愛知県の大府市という街に住んでおりました。
今でも駅から自宅であったアパートへの道のりが克明に目に焼きついています。
時折、今まで住んでいた街を順番に訪ねてみたい欲求に駆られるのですが、
先日名古屋の親戚に用事があった際、この大府の街へ寄ってみました。
駅前の様子はまだ記憶と左程違わなかったのですが、
当時住んでいたアパートはマンションに変わり、周囲の空き地は今風な戸建が
ひしめいておりました。
かつての故里は記憶の中にのみ存在し目の前の景色は別のものでした。
その数週間後、同じく小学生時代に住んでいた京都府の亀岡市という街へ訪れました。
こちらは、昔とほぼ同じ景色でした。特に住んでいた平屋の周りは・・・。
しかし、こちらも見れば見るほど我が心の故里とは違うものでした。
景色は変わっていませんが、見ている私は既に違う人間です。
結局、人間には現在しか存在しないのだな・・・と妙に納得したものです。
今をもっと感じたい。目を閉じて移る故里に郷愁を感じ、
そこにリアリティがあるのでは悲しいなと思いました。
シニアコンサルタント 吉田