近鉄と思い出と
2008年07月07日
今日は奈良にあるお客様のお手伝いに。
●京都駅から近鉄に乗り換え、高の原駅まで。
その途中駅はとても懐かしい駅がたくさん。
竹田、丹波橋、大久保、久津川、新田辺
15年も前の、学生時代に何度も通った道。
途中、学生時代にお供していた
彼女の家のある駅を通り抜ける。
もちろん「未練が・・・・」という言葉でなく
当然ですが、
「懐かしい・・・・・」 という言葉が出てきます。
●その昔、バイト先のおっちゃんが
昔の彼女の家の前あたりを通ると
「この近くに昔の彼女が住んどるんよ。」と
あかの他人である僕にとって
どうでもいいと思われるトークを
何度も繰り返していました。
●正直、「おっさん、その人に未練あるんだろうな」っと
内心では思ってたし、
「なんで、そんなこと言ってくるのかね。」
と疑問に思っていたものです。
でも、最近になって、その時のおっさんの感情が
少し分かるようになってきました。
●おっさんは、未練というより、思い出を振り返っていたのです。
その時点に立ち返り、今の自分自身を振り返るわけです。
以前よりも、自分が成長していれば、それは美しいものになるし、
以前よりも、後退しているようであれば、それは辛いままのものとなる。
おっさんは、その思い出を充分に受け止められるだけの
綺麗なものへと昇華できていたのでしょう。
●こう考えると、過去の出来事がどう言う意味を持っているのかを
決めるのは「今」の自分自身の状態によるものだと分かります。
過去を決定するのは、まさに今この瞬間なのです。
ということは、人が本当の意味で、自分自身の人生を
振り返ることができるのは、まさに「死」の瞬間なのでしょうね。
●「思い出」は美しい。
せめて自分が死ぬときには、全てのものが
尊く美しく見える世界でありたい。
当然ながら、まったくもって未熟者ですが、
いつでも綺麗な思い出を振り返えれる自分でありたいです。
名古屋支店長 西田敬一


