見られている感
2007年08月25日
何かの情報を発するとき、その情報が受け手に「どう見られるか、どう読まれるか」を想定する必要がある。
何かにコミットするとはそういうことだと思う。
情報の開示にはある種の責任が伴う。
思ったことをそのまま発信する。
その行為には多くの場合「他者」がない。
足元を固め、そこから前に踏み出す。
そのためには「他者」を意識し、逆に自分を固定する必要がある。
コミットメントはそこから生まれる。
「私」は病だ。
だけど、そこで思考をめぐらせる時、甘えを許容していることも認識すべきだろう。
「見られている」ことを感じながら前に進む、それが「大人」の所作だと思う。


